今年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」で主人公の明智光秀。
岐阜は明智家ゆかりの地であり、恵那市明智町は、光秀の産湯や供養塔、母親のお牧の墓所などがあります。明智遠山家累代の居城でもあった、白鷹城(明智城)跡もあり、明智光秀を取り巻く、戦国の世の歴史を知ることができます。
また、遠山家ですが、実はあの有名な「〇〇の〇さん」だったのも初めて知りました!
明智町は戦国の歴史だけでなく、近代の大正時代のレトロな街並みを楽しめる観光スポットでもあります。
今回は歴史に思いを馳せ、恵那市明智町を散策したので紹介したいと思います。
アクセス
明智町へ車で来る場合は、「日本大正村 無料駐車場」を目指します。大正村の各施設は朝9時からの営業がほとんどですが、駐車場は空いていますので、早めに来ることができます。(駐車場のトイレは時間外は施錠)
トイレを利用したい場合は、歩いて行ける距離にある明智駅のトイレがおすすめです。余談ですが、ここに向かうまでの山道にトイレがまったくなく、駐車場に到着しトイレを発見!助かった!と思ったのもつかの間、施錠されている!、、ヤバい、まじで(泣)、、、明智駅トイレで難を逃れました。。
明智駅は小さな駅で、田舎ののどかな駅舎です。ちょうど出発前の電車が停まっており、写真を撮りました。トイレですっきり!明智鉄道の電車にも出会えて、今日の旅も楽しく過ごせそう、そんな気持ちになりました。
散策ルート
散策マップですが、駐車場内のお土産処「よってっ亭」や観光案内所などで無料でゲットできます。日本大正村のホームページにもあるので、携帯片手(歩きスマホはダメ!)に散策も可能です。
◆日本大正村の公式HPはこちら
◆散策マップ
日本大正村 散策マップ <出典:日本大正村HP>
散策した場所をグーグルマップで紹介します。説明の都合上、若干ルートが違いますが、大体はこんな感じで散策しました。明智城など近くに駐車場もありますが、今回はすべて徒歩で回りました。町中の散策なので徒歩の方が景色を十分に楽しめます。
◆散策前半
◆散策後半
大正時代のレトロ雰囲気を感じる
明智町は明智ゆかりの史跡だけでなく、大正時代の街並み、歴史を感じる場所でもあります。石畳と黒塗りの壁の蔵のある「大正路地」、昔の風情溢れる造りの「大正村役場」、お洒落な建物の「大正ロマン館」など、大正時代を感じながら散策を楽しむことができます。
無料駐車場からまずは「大正浪漫亭」、「観光案内所」に向かいます。案内所で貰える「まち歩きマップ」を参考に明智町内を散策します。
大正浪漫亭の1階には、矢絣はかま・着物のレンタルショップがあります。衣装に着替えて町を歩けば、ハイカラさん気分になれます。また、浪漫亭の外に蓄音機、車など、当時の雰囲気をバックに写真撮影できる場所があります。インスタ映え間違いなしです。
大正路地
観光案内所の近くに、趣のある路地が見えてきます。石畳の両端には黒壁の蔵が建ち、昔にタイムスリップした気分にさせてくれます。ハイカラ姿で歩く観光の方を見ましたが、趣があってよかったです!
大正村役場
路地を抜けると、大正村役場があります。村長さんが住んでいたということで、建物内は昔の風情を残し、どこか懐かしい感じがあります。入場は無料ですが、維持管理のための寄付にご協力を。
部屋には立派なひな人形が飾ってありました。建物内は自由に見学が可能で、お茶の無料サービスもあります。散策で疲れたらお茶で休憩もありです。
玄関に幸福を招く白狸の剥製が飾ってあります。山で遭遇したらタヌキとは気づかないでしょうね。全身まっしろです。
大正ロマン館
洋風の2階建ての建物で、庭園が整備され、何ともロマンチックな建物です。写真撮影にはもってこいのスポットかと思います。
今年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」放映を記念して、岐阜内の明智ゆかりの各地で、「大河ドラマ館」特別展示が開催されています。恵那・明智でも、この場所で特別展示「ぎふ恵那 大河ドラマ館」が開催されています。
麒麟がくる「ぎふ恵那 大河ドラマ館」
大河ドラマのあらすじや登場人物など、展示パネルを使って紹介されています。写真撮影は、俳優の等身大パネルと鎧(複製)のみ、撮影OKです。麒麟がくるは毎週欠かさず見ており、ドラマ好きにはたまらないスポットです。登場人物と歴史背景、ドラマの見どころなど、盛りだくさんの内容です。
等身大パネルの左から、光秀のおじさんの明智光安、そして後の奥さん煕子(ひろこ)、主人公の明智十兵衛光秀、母親のお牧ですね。
明智光秀の最後は本能寺の変で有名ですが、妻、そして母親の最後を知ると、とても悲しい気持ちになります。ドラマではどのように描写されるのか気になる所です。
明智光秀ゆかりの地を散策
明智町は明智光秀ゆかりの地で、産湯の井戸、供養塔、明智城などが史跡として残っています。明智町内には史跡が多くありますが、十分歩いて行ける距離にあります。大正村の無料駐車場に車を停め、街並み、自然を眺めながら散策することをお勧めします。
明智城(白鷹城)跡
戦国時代に東農に点在した山城のひとつで、1247年頃に遠山景重により築城され、1615年の廃城まで紆余曲折はあったにせよ、遠山家累代の居城になります。東から武田、西・南からは織田、徳川と、常に争奪戦の激しい戦地なった場所でもあります。
大正ロマン亭近くの麓から山城を登っていきます。本丸に向けては、敵の進撃を阻止すべく、くねくね道や、曲輪など、いくつかその痕跡も確認することができます。
頂上まで登ると本丸に到着します。今は何もない広場になっていますが、当時はここに遠山家の居城があり、武田、織田の軍勢との戦いの舞台だったところです。そう思うと、凄い場所に来ていることを改めて実感させられます。
本丸からは木々が生い茂ているため、町の景色などは眺めることができませんでした。良い景色を期待していただけに残念です。同じ岐阜の山城で、苗木遠山家の居城「苗木城跡」は展望台もあり、素晴らしい景色が望めるためおすすめです。
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光秀公産湯の井戸
明智城から西の方に「落合砦」(土岐明智城、多羅砦ともいう)という、とても見晴らしの良い場所があります。その景観の良さから、当時は三河、信州の動きをいち早く察知する前線基地の役割をしていたそうです。
その落合砦跡に、「明智光秀 産湯の井戸」があり、光秀生誕の地と言われています。
八王子神社
八王子神社内には明智光秀が歌人・柿本人麻呂をまつり、楓を手植えしたと言い伝えられている場所があります。文武両道を目指し、智将と呼ばれた光秀ならではですね。
龍護寺、光秀公供養塔
龍護寺は代々の遠山家のお墓があり、光秀公の供養塔も建立されています。
光秀公の供養塔と呼ばれる碑は、しっかり見ることができませんでしたが、光秀の悲痛の思いから、斜めに大きくひび割れしているとのことです。
遠山家代々の菩提寺でもある龍護寺ですが、山門の手前に遠山家の系譜があり、明智光秀の他に、全国的にも有名な方を発見しちゃいました!
江戸南(北)町奉行の桜吹雪で有名な「遠山の金さん」です。
遠山景元(金四郎)がまさに時代劇で有名な遠山の金さんで、明智光秀とも遠い親戚であることを初めて知りました。
お牧の方墓所
お牧の方といえば、大河ドラマでも石川さゆりが演じている、光秀の母親です。ドラマではいつも光秀のことを案じている、心優しい母親像で描かれています。
ドラマでは当分先のことですが、明智光秀による丹波攻略で、八上城を守る波多野秀治の籠城を解かせる際に人質となっています。恭順の秀治を信長は即刻切腹、それを知った八上城で、お牧の方は十字架にかけられ光秀の目の前で処刑されたという悲しい出来事がありました。
息子を想い、和平のためなら自ら身を差し出した母親。その行動を無にしたような信長の振る舞い。いくら戦国の世とはいえ、光秀の気持ちを思うと辛いです。墓所の入り口にある石碑に、「敵は本能寺にあり」。主君への謀反の理由は諸説ありますが、この決意に至った理由が、何だか分かるような気がします。
お牧の方死後、しばらく経ってから(1743年)、里人によりご神木の近くに供養のため石碑が築かれ、お牧の方墓所として今でも供養されています。当時の人々の優しさが垣間見えます。
遠山桜
テレビ時代劇ドラマでも有名な遠山の金さん。実は明智光秀と遠い親戚?ということを今回の旅で初めて知りました。
遠山の金さんといえば、名裁きと桜吹雪で有名ですが、その桜吹雪と関係があるのでは?と言われている、遠山桜が見ごろを迎えていました。
駐車場から歩いてすぐの小川のほとりに、立派に咲いた桜があります。
ドラマでも有名なセリフ、「おう! この見事に咲いた遠山桜、忘れたとは言わせねえぜ!」 が思い出されました。(松方弘樹バージョンです。。)
まとめ
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」で主役の明智光秀のゆかりの地、恵那市明智町を散策する旅をお届けしました。
大正時代のレトロな街並みを散策すれば、その時代には生きていませんが、なんだか懐かしく、ノスタルジックな気分にさせてくれる魅力があります。
明智光秀ゆかりの史跡を巡れば、当時の歴史背景や悲しい出来事などに思いを馳せ、感じて知ることができます。NHK大河ドラマを見ている方は、よりいっそう楽しむことができるかと思います。
戦国時代から近代の大正時代まで歴史が詰まった町、恵那市明智町。
ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。